神奈川県は東京一極集中に伴う首都圏郊外住宅地として発展し、県人口は大阪をしのぎ全国2位に浮上してきた
川崎から横浜、湘南へと大都市化が進行したが、東海道線沿線ならばそれは平塚までにとどまり小田原にまではその恩恵は及ばなかった
理由は平塚が東京駅から1時間で通える最後の駅で、小田原は遠すぎるからである
東海道線の最高速度は120キロで、これでは1時間平塚までが限界だ
常磐線やつくばエクスプレスは130キロなので、茨城県南までもベッドタウン化しているし
関西地区の東海道線も130km出てバンバン通過する「新快速」があり、滋賀県南部までベッドタウンになっているが
小田原はそうした速達性の恩恵はなかった
そんなことができる富裕層は一部であるし、小田原に住むくらいなら那須高原とか軽井沢選んじゃうよね
つまり小田原は「都心1時間通勤はできないし、高価な新幹線を使うほど魅力的な移住先でもない」ので衰退した
江戸時代においては、北条の城下町である小田原は相模国(いまの神奈川県の大部分)の最大の都市だった
戦後くらいまでは有力な拠点性があったが、たとえば中郡(平塚と小田原の間の地域)あたりからすれば、今では小田原に出るなら平塚に出たほうがいいし
もっといえば都心までは1時間で行けなくても横浜は40分程度なので、横浜まで日帰りして終わりになってしまう
東海道線が高速化した結果、「都心に通えずとも横浜に行ける沿線」が増えたことで小田原が失った優位性がある。小田急沿線も同様に町田とかに抜けちゃってる
車社会とかではないのか?
これはその次の課題です
先走りすぎ
順序だてて考察するからちょっと待ってね
その次が「地方都市としての小田原の発展の失敗」の考察です
周知のように地方都市にとっては、車社会化がある。移動手段が公共交通ではなくなり、市街地が空洞化する代わりに郊外にイオンモールができるという話です
小田原はここでもしくじりがあったんだ。それは城下町ゆえのハンデである
いいね
なので市街地も当時の町割りで道幅が狭く、かつ城下町あるあるの「敵に攻め込まれないように」迷路のようなごちゃごちゃした道になっている。幹線道路が直線的ではなく直角カーブになったり、急に突き当りの交差点になったりするんだ
これは車移動にとって大変不便である。道を拡幅しようにも、歴史的な建造物が沿道にあったりして用地買収が難しく、駐車場もない
結果、小田原駅前に集まることは難しくなってしまった
一方、小田原には別の課題もあった
それは郊外部の拡大の余地がなかったことだ
東京方面から東海道線で小田原に下るとき、小田原市内に入った国府津あたりで右手は丘が迫り、左手は海になる
小田原は、この「山に遮蔽された地形」で天然の要塞として、不落の城を築いたのだ。上は国府津の切通し、下は熱海に至る山、左は箱根峠の山、右は海だ。昔は狭い平地全部が城だったと言われている
それゆえに「郊外地域の拡大」ができなかったし、周辺自治体からのアクセス環境も、特に道路アクセスが悪かった
一般に多くの地方都市では「郊外化」が進むほど
市街地の周囲の田んぼ地帯が宅地分譲で住宅地に切り替わり、広い道路になり、余った土地をイオンモールなどが林立する大型駐車場付き店舗群に変貌させることができる
はじめは市街地に放射状に延びる道路沿線が開発され、あとでそれをぐるっとかこむ環状道路をつくるようなイメージだ
それは中心街から郊外への転移もあるし、近隣自治体、周辺自治体からのアクセス改善にもなる。遠くて混雑する市街地まで行かずとも、手前のイオンモールでなんでも澄むからだら
スレ妨害のキチゲェがこっちにもきちゃったんで対応願い
ID:27BPbkZ←NGに推奨
市内と市外を結ぶ手段は西湘や小田厚といった高速道路のみで、それらは「課金」が必要なので近隣自治体民は日常的な利用を避け、国道1号線の慢性的な渋滞は改善しない
結果的に郊外化という流れにも小田原は乗れず、地方都市型の集約拠点になれなかったんだ
小田原には東海道線、箱根登山線、大雄山線、小田急線の4つの在来線があり、地方都市としては有数の鉄道会社の乗り入れ状況だ
かつ、これらの多くは都心方面からの中電の小田原行きが発着したり伊豆・箱根の観光地の玄関なので旅行で利用する人も多いため、本数が確保され鉄道の衰退がそこまで起きなかった
車社会への転移が進む一方で、利便性は一定は維持されたので学生だけでなく市民の一部も利用したので
住民の流動が市内の鉄道沿線にも続くいびつな状態になっている
これは「車社会に全部切り替えて割り切る」ようなこともできず、半端になってしまったんだ
国府津駅~鴨宮駅間に広がる巡礼街道沿いの工業地帯だ。線路沿いはかつての貨物駅跡地を流用し「コロナワールド」が進出したほか
大型の工場跡地が「ダイナシティ」や「フレスポ」といったショッピングモールになり、工場が撤退するほど、跡地がロードサイド型の小売店や飲食店に切り替わっていった
それは、南足柄市のフジフィルムのような地元企業が存在しなかったから。市外の会社の工場中心で、これらはバブル期以降の生産拠点の海外移転などでお役御免になった
工場がなくなればそこで働く人が配置転換されるので人口は激減する。当然の流れである
また輸送ルートとしてみても、小田原には静岡でいう興津みたいな大型の港湾はない。つまり陸送するのみだが、小田厚の終点の先っぽという辺鄙な場所から東名に抜けるほかない
昔は東名と小田厚くらいしか主要な道路がないのでそれでも有力といえたが、圏央道が開通したいまでは各方面にアクセスのよい圏央道インター沿線あたりのほうがロジ拠点を設けるにはいいだろう
小田原にはアマゾンがあるくらいで、それ以外はロジ拠点にもなれなかった。しかし工場が撤退することで奇跡的にまとまった土地を確保できたので、そこにショッピングモールが進出することができたが
接続する道路は対面通行の狭いものしかないので、巡礼街道や周辺では慢性的な渋滞が常態化している
だが小田原の場合、小田原の東部に続く各自治体は小田原に行くまで「高速道路に課金するか狭い道路で渋滞する」ことを避けるし、都会に行くなら横浜に出たほうがいい
西を見ても、御殿場市からは箱根の険しい山声が必要なので、市内の御殿場アウトレットで十分
三島方面からも箱根峠を抜ける必要があるので、沼津のららぽーとに行く・・・
という風に、周辺広域にわたる商圏を確保できなかったんだ
ダイナシティは2回百貨店が潰れていて、ヨーカ堂もレストラン街を閉じたり、食品スーパー以外はかなり苦戦して迷走している
小田原市は市街地は不便だが郊外としても半端な自治体になっている
そういう状態を考慮して、各方面と交渉して適切な街づくりをすることを歴代市政は怠っていた
たとえば、国府津~鴨宮の間に新駅を誘致し、コロナシネマワールドのかわりにそこに駅直結商業施設や公共施設を移せば
この半端な状態を打破できていたとも考えられるが、もう遅い
どこも密集地でバイパスの存在しない沿道なので、市内のどこから行ってもアクセスが悪い、車必須だが大型駐車場もなく、駅からも遠いという悲惨な状態になっている







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