日本史の一大汚点「廃仏毀釈」はいかにして行われたか?
日本史の一大汚点「廃仏毀釈」はいかにして行われたか?【書籍オンライン編集部セレクション】ベストセラー『明治維新という過ち』の異色作家が放つ新境地!文明を最も動かす「人口と経済」で読み解く江戸250年~明治維新の誰も教えてくれなかった真実!いま、なぜ世界は江戸に向かうのか?diamond.jp江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
「2020東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「廃仏毀釈」についてはじめて聞いた。(初出:2017年2月8日)
そして、政権奪取に成功するや否や、日本史の一大汚点というべき「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という徹底した仏教文化の破壊活動を繰り広げたのである。
仏教伝来から既に千四百年近く経っていた明治維新といわれるこの時点に於いて、仏教という宗教及びその影響を受けた文化的、精神的諸要素は、既にこの美しい島国の風土を創り上げている主たる要素といってもいいほど大地に、空間に、人びとの心に浸み込んでいる。
その意味では、薩長新政権が惹き起こした「廃仏毀釈」というムーブメントは、歴史上例をみない醜い日本文化の破壊活動であった。
これは、俗にいう明治維新の動乱の中で、明治元(1868)年に薩長新政権が打ち出した思想政策によって惹き起こされた、直接的には仏教施設への無差別な、また無分別(むふんべつ)な攻撃、破壊活動のことをいう。
これによって、日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗(げんぞく)を強制されたりした。
ひと言でいえば、薩摩、長州という新しい権力者による千年以上の永きに亘って創り上げられた我が国固有の伝統文化の破壊活動である。
現代のイスラム原理主義勢力タリバーンやイスラム国を思えば分かり易いであろう。
文化財の破壊という点のみでいえば、イスラム原理主義者による文化財の破壊より規模は遥かに大きかった。
発端は、新政権が出した太政官布告「神仏分離令」と明治三(1870)年に出された「大教宣布」にある。
学者は、これ自体が直接仏教排斥を指示したり、煽(あお)ったりしていないとするが、それは文章面(づら)のことであって当たり前である。
これを後ろ盾として、仏教弾圧の嵐が吹き荒れたことは否定のしようもないことなのだ。
私ども大和民族は、それまで千年以上の永きに亘って「神仏習合」というかたちで穏やかな宗教秩序を維持してきた。
平たくいえば、神社には仏様も祀(まつ)って別(わ)け隔てなく敬ってきたのである。
これは、極めて濃厚にアジア的多元主義を具現する習俗であったといえる。
それをいきなり廃止せよと命じ、神社から仏教的要素を徹底的に排斥することを推進し、ご神体に仏像を使用することも禁止したのである。
これが、全国的に大々的な廃仏運動を燃え盛らせたのだ(平成日本人は、「神仏習合」が大和的な、おおらかで自然な姿であったことも分からなくなっている)。
今、近代と呼ばれている私たちの世界は、一元主義によって行き詰まりを迎えているといえるだろう。
かつての東西冷戦も現代の西欧社会とイスラム社会の衝突も、一元主義と一元主義の対立である。
一元主義同士の戦いを一元主義によって収束させることは、残念ながら無理なのだ。
薩長権力が一転して狂ったようにかぶれた西欧文明はまもなく確実に終焉を迎えるであろうが、それは言葉を換えれば一元主義の破綻といっていい。
もともと大和民族は、多元主義的な生態を維持してきた故に、多少の混乱期を経験しながらも長期的には平穏な生存空間を、政治的な版図(はんと)を超越して維持してきたのである。
単に島国であったから、という地勢的な理由だけに頼るのは余りにも稚拙というものであろう。
ところが、薩摩長州の下層階級が最初にかぶれた思想とは実に浅薄なもので、単純な平田派国学を旗印に掲げ、神道国教、祭政一致を唱えたのである。
これは、大和民族にとっては明白に反自然的な一元主義である。
ここへ国学の亜流のような「水戸学」が重なり、もともと潜在的に倒幕の意思をもち続けてきた薩長勢力がこれにかぶれ、事の成就する段階に差しかかって高揚する気分のままに気狂い状態に陥ってしまったのだ。
こういう現象は、時代の転換期には間々あることではある。
とはいえ、神聖政治を目指す、神道(しんとう)を国教とする、仏教はそもそも外来のものである、すべてを復古させるべきだというのだから、これはもう気狂い状態に陥ったというべきであろう。
では、一体どこへ復古させるのが正しいのか……当然、五世紀以前ということになってしまうのである。
そもそも薩摩長州は、徳川政権を倒すために天皇を道具として利用したに過ぎない。
そのために「尊皇攘夷」という大義名分が必要となった。
これは、どこまでも大義名分に過ぎない。
薩摩長州のリーダー層が純粋に尊皇精神をもっていたかとなると、幕末動乱期の行動、手法が明白に示す通り、そういう精神は微塵(みじん)ももち合わせていなかったとみるべきであろう。
「尊皇攘夷」を方便として喚き続けているうちに本当に気狂いを起こし、「王政復古」を唱え、何でもかでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であるとなってしまったのだ。
その結果、寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗(せいばい)せよ、となってしまったのである。
この「廃仏毀釈」を単なる民衆の行き過ぎた一時的なムーブメントとし、新政権の方針とは全く無関係であると学者はいい続けてきたが、それは違う。
新政権政府は、僧侶に対して「肉食妻帯勝手なるべし」と、わざわざ命令している。
僧侶に戒律を犯させ、仏法の教えにいうところの「破戒」をさせようと企図したことは明白である。
凡(およ)そ政治施策を推進する上で、こういう手法は実(まこと)に知性、品性に欠ける下劣な手法であるといわざるを得ない。
このようにして、俗にいう明治維新という動乱期に、日本の伝統文化、伝統芸術の根幹を担ってきた日本の風土に溶け込んで進化してきた仏教は、宗教としても文化的価値としても徹底的に弾圧されたのである。
中でも奈良興福寺や内山永久寺の惨状は、筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い。
興福寺だけで二千体以上の歴史を刻んできた仏像が、破壊されたり、焼かれたりしたことが分かっている。
僧侶は、ほとんど全員が神官に、文字通り“衣替え”したり、還俗することを強制された。
経典は、町方で包装紙として使われるというゴミ同然の扱いを受け、五重塔は二十五円(一説には十円)で売りに出された。
薪(たきぎ)にするために売りに出されたのである。
多くの宝物(ほうもつ)は、混乱に乗じた略奪等によって散逸し、二束三文で町方に出回ったのである。
因みに、現在の奈良ホテルや奈良公園は、当時の興福寺の敷地内である。興福寺と共に我が国四大寺の一つという格式を誇った内山永久寺に至っては、更に酷(ひど)いもので、徹底的に破壊され尽くし、今やその痕跡さえ見られない。
姿を残していないのだ。この世から抹殺されてしまったのである。
「廃仏毀釈」とは、それほど醜い仏教文化の殲滅(せんめつ)運動であったのだ。
「復古」「復古」と喚いて、激しく「尊皇攘夷」を口先だけで主張し、幕府にその実行を迫ってテロを繰り広げた薩摩長州人は、このように古来の仏教文化でさえ「外来」であるとして排斥したのだが、政権を奪うや否や一転して極端な西欧崇拝に走った。
「尊皇攘夷」式にスローガンとしていうならば、今日からは「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」だと豹変したのである(後に福澤諭吉が唱えた「脱亜入欧」は、経緯、主旨が異なる)。
これほど激しい豹変を、それも昨日と今日の価値観が逆転するといった具合に短期間に行った民族というものも珍しい。
どちらの態度も、己のアイデンティティを破壊することに益するだけであることに、彼ら自身が気づいていなかったのである。
日本人は、テンション民族だといわれる。
明治維新時に植え付けられたと思われるこの特性は、大東亜戦争敗戦時にも顕著に顕れた。
その悪しき性癖は、今もそのまま治癒することなく慢性病として日本社会を食いつぶすほど悪化していることに気づく人は少ない。
このことは、ほとんど近代政治家と官軍史観による教育の犯罪といってもいい過ぎではないだろう。
文部官僚・岡倉天心のまごころ
奈良興福寺の仏像修復に精魂を傾けたのは誰か。
彼の努力がなかったら、今日私たちは興福寺で仏像を鑑賞することができないのである。
それは、文部官僚岡倉天心である。彼が、長州人を中心とした西欧絶対主義者たちによって職を追われたことと、それにも拘わらずその後も地道に仏像修復に当たらなかったら、今日の興福寺さえ存在していなかったことを、私たちは肌身に刷り込んで知っておくべきであろう。
革命ってものは旧来の教養をもたず
古い価値観とは断絶した新しい学問思想に影響力された若者や民衆出身の人間が先導するものだろうな
そのために仏教で火葬だった天ちゃんを
無理やり土葬にして
さらに神道から抗議で火葬禁止令まででた♪
ネトウヨって馬鹿だから火葬禁止令とから知らないけど♪
金儲けばっかしてる坊主は叩いたほうが世直しだろう
上からの見せしめだった⁉︎
金儲けとか名誉欲とか権勢欲とかの欲塗れ文化
宗教は一つにしておかないと後で揉めますよとでも言われたんじゃね
いつでも国粋主義者は碌でもなことしかしない。
各地域の知識人であるお坊さんは邪魔だからな
九州随一の雄藩薩摩が国宝たった2点
下手すりゃ大阪にある古墳もじつは天皇のものではない可能性あるんでしょ?
でっちあげたから
そりゃ仏教と同居なんて原始的だもん
今や寺の役割を破壊した結果、金持ちのハゲと貧乏なハゲの二極化が激しいが
維新の英傑には感謝しかない
「明治政府公認の神様だけを祀りなさい」って事になって明治政府がどこからか神様を持ってきてその山に神社を建てた
そうするとその山では他の信仰が全部廃仏毀釈の対象となり古の信仰は全て失われてしまった
これ笑うよな現代ネトウヨの醜悪さが凝縮されている




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