・ノモンハン事件
服部卓四郎とともに北進論を推し進めノモンハン事件を起こす。ソ連に大敗し戦車隊を含む一個師団が消滅。責任を現場司令官に押しつけて自決させる。いったん閑職につくが何事もなかったように参謀として活動を続けその後も失敗を繰り返す。・シンガポール華僑虐殺
第25軍作戦主任参謀であった辻は検問所を回り「シンガポールの抗日勢力を一掃する」『シンガポールの人口を半分にする』などと発言して憲兵を驚かせた」との記録。戦後憲兵の戦友会・全国憲友会が発行した『日本憲兵正史』「シンガポール華僑粛清事件」の項目に詳述されている。
なお辻政信の命令通りに華僑を処刑した隊長たちは戦後に戦争犯罪人として死刑。・バターン死の行進
参謀本部作戦班長であった辻は現地の指揮官達に対して「投降してきた米比軍を処刑せよ」「捕虜を情け容赦なく扱うよう」「歩けぬ捕虜は処断せよ」などと指示する偽命令を下す。
この命令により捕虜のアメリカ兵やフィリピン兵は長距離の徒歩移動を強いられマラリアなどの病気や日本軍の虐待によって一万人以上が命を落とした。戦後は逃亡した辻に代わり本事件についてなんら責任のなかった本間中将がその責任を負い死刑となった。・ポートモレスビー攻略作戦
米豪軍の本拠地であるオーストラリアの側にある巨大な島がポートモレスビー。ここは米豪軍の極めて重要な前線基地となっていた。しかしポートモレスビーへ攻め込むルートには巨大な山脈が立ちはだかりこのコースは人跡未踏の山岳地帯だった。そして問題となるのは補給である。従って大本営は先遣隊を派遣して進行が可能かどうか偵察させる事にした。が、辻は大本営の意向を無視し「第17軍はすみやかに海軍と協力してモレスビー攻略に着手されたい」という辻の独断による偽命令を発した。大本営もこの辻の独断専行に仰天するが、最後には辻の作戦を追認した。
当然このニューギニア島を縦断するオーエンスタンレー山脈を越えてポートモレスビーに至る作戦は大失敗に終わる。・敗戦後に逃亡
戦後連合国から戦犯容疑で厳しく追及される事は自明であったため彼は日本の敗戦後、方面軍司令官である中村中将に対し「国家再生の為」潜伏することを願い出て許可された。中将は辻を擁護しイギリスの問い合わせに対し辻は敗戦の責任を感じ自決するために離脱した。」と虚偽の説明を行った。
辻は数名の青年将校と共に僧侶に変装しタイ国内に潜伏した。辻は連合国の目を逃れ中華民国の代表部に赴き「日中平和の為働きたい」と大見得を切り、連合国であった国民党政府に匿われ、しかも国民党政権の国防部所属という肩書きまで与えられた。
しかし中国における国共内戦で国民党が不利になってきたことから1948年に上海経由で日本に帰国した。・帰国後に国会議員に
帰国後戦犯として訴追される事を恐れ偽名を使い国内で潜伏。しかし辻はGHQから思いがけなく戦犯指定を解除された。1949年に蒋介石が国共内戦で敗北した事に関係している。GHQは朝鮮半島と日本の共産化を恐れ旧日本陸海軍の将校を対ソ連対中共防衛に利用しようと考えた。(逆コース)
再び世に出た辻は、終戦直後タイから中国に逃げ込み帰国した体験を「潜行三千里」と題して発表した。
昭和27年に初めて無所属から衆議院議員となる。その後日本民主党、自由民主党から衆議院選挙に出馬し昭和34年には参議院に鞍替えし全国区において第3位で当選する。・東南アジアで失踪
1961年、辻は参議院に対し東南アジア視察を目的として休暇を申請しベトナムでホーチミンに会見するとして日本を出発した。しかし、1ヶ月程度の日程であったが5月半ばになっても帰国しないため家族の依頼により外務省は現地公館に対し調査を指令している。
報告によると辻は4日間バンコクに滞在し、14日に日本大使館の書記官と共に飛行機でビエチヤンに向かった。そこで辻は、元日本陸軍兵士で終戦後自由ラオス軍の将校となった人物に「ホーチミン大統領に会いたいので助けてほしい」と頼み、4月21日、黄褐色の僧衣を着て僧侶に変装し一人徒歩で北上していったところまでは分かっている。
これを最後に彼の消息は途絶えた。その後の調査で「ジャール平原でラオスの愛国共産系武装勢力にスパイとして射殺された」と伝えられているが真偽のほどは分からない。以上が辻政信の生涯である。
https://bunshun.jp/articles/-/72579
ソ連軍と関東軍の小競り合い
数個師団っていうから万単位の兵隊同士で戦争してるから「小競り合い」という表現は微妙かもしれんが
石川県民の神経を疑うわ
多分伝記書いてる人だけじゃなく本人も自分を理解していない
近衛文麿は中枢で立場が悪くなったら逃げるクズ(最後は死んで逃げたクズ)
こいつらに比べりゃ東條英機なんか随分真っ当で近衛のケツ拭きばっかりで可哀想とすら思える
なんか、東条とかいま矢面にたたされてる「戦犯」ってさらにもっと悪い奴を隠匿するためのババ引いた奴って感じがするよね
東條英機って色々といろんな人の本や意見を聞くに激烈に運が悪い人ってイメージになっちゃった
永田鉄山が生きてたらこんな行くも引くも出来ない状況での首相なんかにならず身の丈にあった仕事をしていたかもしれないし
近衛文麿が生き残って東條が死んでたら戦後の戦犯イメージも逆転してたかもしれない
まぁ恨み買いまくってるしそういうことだろう
なお自民党所属だった模様
名前変えたに違いない
三拍子そろった典型的ジャップ
まだ生きてるぞ!




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