【ロシア映画】「コゼリスク攻城戦 モンゴル軍襲撃」が公開。モンゴル軍の侵攻に対し、猛抗戦を行い「邪悪な町」と呼ばれた小国の物語

1 : 2025/12/17(水) 18:29:01.81 ID:wFIcfgBy0

ロシア発のアクション映画「コゼリスク攻城戦 モンゴル軍襲撃」が、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷にて開催の「未体験ゾーンの映画たち 2026」にて1月23日より公開される。

【動画あり】小国の籠城戦を描く、映画「コゼリスク攻城戦 モンゴル軍襲撃」予告編
https://youtu.be/OuYMxTzbeAw?si=Ib4XVhuFho3_drUq

13世紀に起こったコゼリスク公国の籠城戦を題材とする本作では、小国の戦士たちの7週間にわたる戦いが描かれる。モンゴル帝国のバトゥ率いる大軍が、城壁に守られる小国コゼリスクを包囲。幼い公子ヴァシーリイと住民を守るため、将軍、盗賊団、老戦士、女戦士らは立場を超えて団結し、籠城しながらも夜襲や奇襲を仕掛け、敵に立ち向かう。

監督・製作を「AK-47 最強の銃 誕生の秘密」のコンスタンチン・バスロフが務め、脚本を「ラスト・ウォリアー 最強騎馬民族スキタイを継ぐ者」のヴァディム・ゴロヴァノフが担当した。キャストにはアレクセイ・グシュコフ、アレクサンドル・メトヨルキン、ウラジーミル・リュビムツェフ、レオネラ・マントゥロヴァが名を連ねる。YouTubeでは予告編が公開中だ。

「未体験ゾーンの映画たち 2026」は、1月2日から2月12日までヒューマントラストシネマ渋谷で開催される。

小国とモンゴル帝国の戦い描いたロシア発アクション「コゼリスク攻城戦」公開(映画ナタリー) - Yahoo!ニュース
ロシア発のアクション映画「コゼリスク攻城戦 モンゴル軍襲撃」が、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷にて開催の「未体験ゾーンの映画たち 2026」にて1月23日より公開される。 13世紀に起こったコ
レス1番のリンク先のサムネイル画像
2 : 2025/12/17(水) 18:29:13.41 ID:wFIcfgBy0
コゼリスク公国(ロシア語: Козельское княжество)は、12世紀から13世紀にかけて現在のロシア・カルーガ州にあるコゼリスクを首都として成立した、ルーシ諸公国の一つです。
歴史の概要
出自: 当初はチェルニゴフ公国に属する分領公国でした。
モンゴルの侵攻(1238年): コゼリスク公国の歴史で最も有名な出来事は、モンゴル帝国によるコゼリスク攻囲戦です。
12歳の公子ヴァシーリイの下、住民が団結して7週間にわたりバトゥ率いるモンゴル軍の猛攻に抵抗しました。
この激しい抵抗に憤慨したバトゥは、コゼリスクを「忌まわしい町(邪悪な町)」と呼び、陥落後に徹底的に破壊し、住民を皆殺しにしたと伝えられています。
その後の変遷:
13世紀後半以降はオカ川上流公国群の一つとして存続しましたが、14世紀後半には一時リトアニア大公国の支配下に入りました。
1494年、最終的にモスクワ大公国に併合され、ロシア国家の一部となりました。
現代の文化
この歴史的事件は現在でもロシアで語り継がれており、2025年にはこの攻防戦を描いた映画『コゼリスク攻城戦 モンゴル軍襲撃』が公開されるなど、不屈の抵抗の象徴として知られています。
5 : 2025/12/17(水) 18:34:06.58 ID:Mdx22zzn0
>>2
全滅エンドかよ
6 : 2025/12/17(水) 18:38:17.64 ID:wFIcfgBy0
>>5
キリスト教の信者の復活は、イエス・キリストの復活にならい、世の終わりに肉体を持って新しく蘇り、永遠の命を得るという究極の希望と教義です。これは死者の蘇生ではなく、キリストの恵みによる「新しい神の創造」として理解され、信仰の核心とされます。
キリスト教における信者の復活の要点
根拠と意味: イエス・キリストの復活を「初穂(最初の実り)」とし、信者も同様に復活すると信じられています。これは単なる生き返りではなく、罪から解放され、永遠の命に参与する「新しい存在」への変容です。
タイミング: 「世の終わり(終末)」、キリストの再臨の時に起こるとされます。
身体の復活: 魂だけでなく、肉体を伴った復活が信仰されています。ただし、それは現在のような朽ちる体ではなく、朽ちない霊的な体に変えられます。
審判: 全ての人間が復活しますが、善を行った者は永遠の命へ、悪を行った者は裁きを受けるためとされています。
信者の希望: この信仰は、死の恐怖を克服し、人生の痛みや不自由さを乗り越えて生きる力となる「希望」の根拠です。
3 : 2025/12/17(水) 18:32:59.92 ID:zwFpMpdk0
ロシアの映画は芸術だよな
15 : 2025/12/17(水) 20:13:11.12 ID:q6TGfh8w0
>>3
ナチスロシアの映画なんてどうせ先輩格のナチスドイツと同じで独裁者プーチン賞賛のプロパガンダまみれだろ
17 : 2025/12/17(水) 20:15:52.09 ID:wFIcfgBy0
>>15
ハリウッド映画だって米帝のプロパガンダじゃん
21 : 2025/12/17(水) 20:18:14.63 ID:q6TGfh8w0
>>17
それは必ずしも否定は出来ないがそれだけじゃなくちゃんと社会批判や風刺的な要素がある映画もそれなりにある、
しかしナチスロシア映画なんてそれすら無い、なぜならナチスロシアは独裁国家だから表現や言論の自由すらないからだ
22 : 2025/12/17(水) 20:22:10.68 ID:wFIcfgBy0
>>21
タルコフスキー、知ってる?
23 : 2025/12/17(水) 20:43:31.39 ID:q6TGfh8w0
>>22
誰それ?教えて
24 : 2025/12/17(水) 21:11:25.54 ID:wFIcfgBy0
4 : 2025/12/17(水) 18:33:26.46 ID:zwFpMpdk0
アメリカと違って歴史がある
7 : 2025/12/17(水) 18:38:45.37 ID:FEPZxIhS0
今もタタールの軛ってあるんだな
8 : 2025/12/17(水) 18:41:20.60 ID:wFIcfgBy0
>>7
ロシアのタタール人は約500万〜600万人以上が暮らす国内最大の少数民族(総人口の約4%)で、主にイスラム教を信仰し、ロシア人に次ぐ第2の民族グループです。タタールスタン共和国を拠点とするヴォルガ・タタール人が主ですが、クリミア・タタール人など系統の異なるグループも存在します。
主な特徴と歴史は以下の通りです。
居住地域と構成:
ヴォルガ・タタール人: タタールスタン共和国を中心に居住。ロシア国内のタタール人の大半を占める。
クリミア・タタール人: クリミア半島に先住。第2次世界大戦中に中央アジアへ強制移住させられた歴史を持ち、2014年のクリミア併合により再びロシアの統治下となった。
文化・宗教: テュルク系の言語(タタール語)を話し、大部分はイスラム教スンニ派を信仰する。ただし、キリスト教(正教)に改宗した「クリャシェン人」というグループも一部存在する。
歴史的背景: 中世のモンゴル帝国による間接支配「タタールの軛(くびき)」の時代(13〜15世紀)から、ロシアの歴史に深く関わっている。
現代の状況: ロシア語を日常的に使用する人が多く、タタール語とロシア語のバイリンガルが一般的。タタールスタン共和国ではタタール語も公用語とされるが、実質的にはロシア語が教育や政治で優位である。
ロシアにおいて、タタール人は単一の民族というよりは、歴史的な経緯から複数のテュルク系住民をまとめた呼称であり、ロシアの多民族国家としての象徴的な存在です。
30 : 2025/12/18(木) 03:12:02.03 ID:iXUNPw0FM
>>8
そのタタール人はトゥルク系だからモンゴル人じゃないよ
ブルガリア人とかがモンゴル人僭称してるのに近い
9 : 2025/12/17(水) 19:01:40.10 ID:wFIcfgBy0
モンゴル帝国のジョチの次男バトゥによる戦い(バトゥの西征)は、13世紀にロシアから東ヨーロッパにかけて壊滅的な打撃を与えた一連の軍事行動を指します。
主な戦いと征服
ロシア・キエフ公国侵攻(1237年〜1240年)
リャザン包囲戦(1237年): ロシア侵攻の端緒となり、リャザンを陥落させました。
モスクワ・ウラジーミル陥落(1238年): 次々とロシア諸侯の都市を征服しました。
キエフの戦い(1240年): 当時のロシア(ルーシ)の中心地であったキエフを破壊・征服し、キエフ公国を実質的に滅亡させました。
東ヨーロッパ侵攻(1241年)
ワールシュタットの戦い(レグニツァの戦い): ポーランドに侵攻した別働隊が、ハインリヒ2世率いるドイツ・ポーランド連合軍を撃破しました。
モヒの戦い(シャイオ河畔の戦い): バトゥ率いる本隊がハンガリー王ベーラ4世の軍を破り、ハンガリーを征服しました。
その後の影響
1242年に第2代皇帝オゴデイの訃報が届くと、バトゥは遠征を中止して撤退しました。その後、彼はヴォルガ川下流に拠点を置き、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)を成立させて自立しました。これにより、ロシア諸侯は長期にわたるモンゴルの支配(「タタールのくびき」)下に置かれることとなりました。
10 : 2025/12/17(水) 19:15:45.16 ID:wFIcfgBy0
モンゴル帝国の殲滅戦は、単なる破壊目的ではなく、「抵抗すれば徹底的に殲滅し、降伏すれば保護する」という明確な合理的戦略(心理戦)に基づいて行われました。
1. 殲滅戦の基本戦略
モンゴル軍は「恐怖」を武器として最大限に活用しました。
心理的威圧: 抵抗した都市を徹底的に破壊・殺戮することで、次に攻める都市に「抗えば同じ運命を辿る」という恐怖を植え付け、無血開城を促しました。
プロパガンダ: 虐殺の噂を意図的に広め、自軍の規模や残虐性を誇張して敵の戦意を喪失させました。
2. 殲滅・攻城戦における残酷な戦術
モンゴル軍は征服地の技術を柔軟に取り入れ、効率的に殲滅を行いました。
人間の盾(ハラシュ): 捕虜を最前線に立たせ、敵に身内を撃たせることで防御と精神的打撃を両立させました。
生物兵器の使用: 疫病で死んだ死体を投石機で城内に投げ込み、感染症を蔓延させて内部から崩壊させました。
焦土作戦とインフラ破壊: 農地を焼き払い、河川の進路を変えて都市を水没させるなど、居住不可能な状態に追い込みました。
3. 主な殲滅戦・征服の事例
ホラズム・シャー朝: チンギス・ハンによる遠征で、サマルカンドやブハラなどの都市が破壊され、抵抗した住民の多くが殺害されました。
バグダードの戦い (1258年): フレグ率いる軍がアッバース朝の首都を包囲。降伏後の略奪と虐殺により、数十万人が犠牲になったとされています。
西夏: 西征への協力を拒んだことを理由に、徹底的な破壊が行われ、国家そのものが滅亡しました。
モンゴル軍の強さは、高度な十進法による軍隊組織や偽装退却などの卓越した戦術に加え、こうした徹底した殲滅戦略による効率的な支配体制にありました。
11 : 2025/12/17(水) 19:45:27.36 ID:PIXHFOqX0
皆殺しにされてて草
12 : 2025/12/17(水) 19:54:15.39 ID:wFIcfgBy0
>>11
2. 殲滅・攻城戦における残酷な戦術
モンゴル軍は征服地の技術を柔軟に取り入れ、効率的に殲滅を行いました。
人間の盾(ハラシュ): 捕虜を最前線に立たせ、敵に身内を撃たせることで防御と精神的打撃を両立させました。
生物兵器の使用: 疫病で死んだ死体を投石機で城内に投げ込み、感染症を蔓延させて内部から崩壊させました。
焦土作戦とインフラ破壊: 農地を焼き払い、河川の進路を変えて都市を水没させるなど、居住不可能な状態に追い込みました。
13 : 2025/12/17(水) 20:09:43.88 ID:q6TGfh8w0
>>1
いまやそのモンゴル軍と同じ事をナチスロシアがやる側になってるというね、
人の振り見て我が振り直せないナチスロシア人は実に愚かだ
14 : 2025/12/17(水) 20:12:44.94 ID:wFIcfgBy0
>>13
ロシア連邦はモンゴル帝国の継承国でしょ
27 : 2025/12/18(木) 02:56:44.46 ID:YVE1104A0
>>13
侵略国家って何故か自主独立の死闘みたいなストーリー好きだよね
イスラエル軍がガザ停戦合意後のプロモーション動画でIndependent!とかキャプション付けてて笑ったよ
29 : 2025/12/18(木) 03:04:51.05 ID:dTXnMt2j0
>>27
イスラエルはマサダ包囲戦な

いじめられっ子はいじめっ子になるんだよ

16 : 2025/12/17(水) 20:14:34.15 ID:yK/ayJso0
こういういわゆる「ピュロスの勝利」をさも歴史的意義があるかのように大げさにコンテンツ化するのってジャップのお家芸かと思ったらなんとロシアもお仲間なのか
18 : 2025/12/17(水) 20:16:11.35 ID:q6TGfh8w0
>>16
ナチスロシアは極右やネトウヨやネオナチにとって理想国家だからな
19 : 2025/12/17(水) 20:17:09.38 ID:wFIcfgBy0
>>16
勝利してない
20 : 2025/12/17(水) 20:18:04.00 ID:5YwRHNGT0
>>16
どこにでもあるよ…
25 : 2025/12/17(水) 21:39:42.65 ID:rN7TBHBY0
ロシア地域はモンゴル軍に蹂躙され
当時のロシア地域住民(現在のロシア人とは別民族)は戦奴としてポーランド軍との戦いで戦わされ文字通り全滅した
という歴史だっけ
26 : 2025/12/17(水) 22:00:06.65 ID:wFIcfgBy0
>>25
モンゴル帝国のジョチの次男バトゥによる戦い(バトゥの西征)は、13世紀にロシアから東ヨーロッパにかけて壊滅的な打撃を与えた一連の軍事行動を指します。
主な戦いと征服
ロシア・キエフ公国侵攻(1237年〜1240年)
リャザン包囲戦(1237年): ロシア侵攻の端緒となり、リャザンを陥落させました。
モスクワ・ウラジーミル陥落(1238年): 次々とロシア諸侯の都市を征服しました。
キエフの戦い(1240年): 当時のロシア(ルーシ)の中心地であったキエフを破壊・征服し、キエフ公国を実質的に滅亡させました。
東ヨーロッパ侵攻(1241年)
ワールシュタットの戦い(レグニツァの戦い): ポーランドに侵攻した別働隊が、ハインリヒ2世率いるドイツ・ポーランド連合軍を撃破しました。
モヒの戦い(シャイオ河畔の戦い): バトゥ率いる本隊がハンガリー王ベーラ4世の軍を破り、ハンガリーを征服しました。
その後の影響
1242年に第2代皇帝オゴデイの訃報が届くと、バトゥは遠征を中止して撤退しました。その後、彼はヴォルガ川下流に拠点を置き、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)を成立させて自立しました。これにより、ロシア諸侯は長期にわたるモンゴルの支配(「タタールのくびき」)下に置かれることとなりました。
28 : 2025/12/18(木) 03:02:24.03 ID:YVE1104A0
>>25
ルーシと黒海カスピ海沿岸がモンゴルの衛星国になった代わりにモスクワが隆盛したって流れだろ
ウクライナで変な民族主義が流行る理由

コメント

タイトルとURLをコピーしました