連日、食事も喉を通らず眠れなかった妻は、「知華の最期の場所を見なければいけない」とずっと口にしていた。18日明け方、まだ行けていなかった辺野古漁港に一人で向かうことを決意。知華がボートに乗る直前、バスに置いていったと思われるパーカーと帽子を着用し、「メディアに囲まれずに行けるのは今しかない」「知華が呼んでいる気がする」と、寝ている私と長女を起こさないようそっとホテルを出た。 移動手段:タクシー(自費)
06:20
タクシーに乗車。事情を説明すると、ニュースを知っていた運転手さんは協力を約束し、温かい言葉をかけ続けてくれた。沖縄の方の温かさに触れ、妻は涙が止まらなかった。
07:00
私が妻の不在に気づき、位置情報で確認して連絡を入れる。声と話の内容から安全と判断し、見守ることにした。
07:46 辺野古漁港に到着
妻もタクシーの運転手も、平和丸が今どこにあるか分からない中、漁港に着いて車が止まると、目の前に平和丸が置かれていた。規制線もなく、献花もなく、そこに置かれていた。
この時は、転覆時に知華がどこに座っていたか、救助された時にどこにいたのか、まだわからなかった。
早朝とはいえ漁業関係の方はおり、人目を憚りながら船のへりに片手を添えて知華の名前を呼び、迎えに来たことを伝えながら、後に確認できるよう写真と動画を残した。
08:22
現場にもっと近い海岸に出られないかと運転手に頼んで走り出したが、どこも工事車両入り口となっており、それ以上進めばかえって現場から離れてしまうと告げられ、Uターン。
08:30
工事車両搬入口の警備監督の方に直接交渉するも、「私からの依頼では権限もなく何日もかかる。米軍のビジターセンターに直接依頼する方が早いと思いますよ。」と教えられる。
08:40 キャンプ・シュワブのビジターセンターへ移動。
08:50 ビジターセンターにて交渉
事情を説明し、転覆現場に最も近い場所への立ち入りを直接交渉。10分ほど待ったあと、上層部に確認し、後で連絡をくれる運びとなった。今回の滞在でここに来れるのは、今日の午後15時以降しかなさそうであることも伝える。交渉への感謝を伝え、ホテルに戻ることとする。
13:32 キャンプ・シュワブからの回答
キャンプ・シュワブから妻の携帯に連絡が入る。「上層部に話を通したので、本日いつでもいらしてください。」
打ち合わせ中だった海上保安部の方にキャンプ・シュワブから献花の許可がおりた事を伝えると、大変驚いていたが、以後の細かい交渉は海上保安部が引き継ぐことに。
到着時、ビジターセンター入り口で関係者の方々が外で待機し、出迎えてくれた。海上保安庁と米軍が調整し、私たち遺族5名と学校関係者3名(校長先生・法人事務部長・学年主任)の同行が許可された。基地関係者の方が運転する車で移動を開始。まず工事エリア外の岸壁へ案内された後、責任者の許可が下り、転覆現場に最も近い工事現場へ移動することができた。
16:30 桟橋に到着
平島と長島の間から、常に白波の立つリーフエッジが遠くに見えた。知華が乗ったボートが転覆し、救出された場所。
強い風の中、長い時間をかけて献花と黙祷を捧げた。花束は海上保安部の方に妻が依頼して用意してもらったものと、学校側が用意したものだった。最後に基地関係者の号令で全員黙祷。花は放置できないため持ち帰り、後で知華の元へ届けることにした。
20:00 葬儀社の安置室へ移動
(同行:私・妻・長女・祖母 (祖父は疲労でホテル待機))
参列希望の生徒や保護者から、長女の判断だけで回答できない質問も寄せられ始めたため、学校側に問い合わせ窓口を設けてもらうよう、校長先生に依頼。すぐに窓口が作られる。
22:00
葬儀社により修復・エンバーミング・化粧をしていただいた状態で再度対面。 顔や解剖の傷跡、髪など、綺麗に整えていただいた。長女が普段の知華に近いメイクをのせる。 前日に買ったピアスを妻と長女でつけてあげた。
翌日の出棺・飛行機などを確認する。

経緯が分かりやすいし文章が綺麗
スナックで暴れてたらしいぞ
遺族ももうこの件に触れないでほしいって言ってるのに
女子高生の死を政治利用する異常者集団
マジモンのクソ共
☝
コレ
これアウトじゃないか
京都よりこっち報道しろや
トーチャンのnote全部読んでるよ
メディアが報道しないなら個人で闘うしかない
おたくの娘は親より先にくたばった親不孝者やから未来永劫三途の川で石積みやぞ😄w
日本だったら一生無理でしょ
ほんとうは?😃
上級っぽいキッズが昇天してちょっと嬉しい
共産党の諸喜田が殺したようなもんだからな
やり切れないだろう
船長は共産党の人間だったんだろうけど切り捨てたらいいだけやん
なんかもっと半端なくやべえことを隠してるようにしか思えんのだが



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