- 1 : 2022/07/31(日) 14:58:39.50 ID:AR0BdIrYM
-
性風俗から抜け出したい 身体障害・知的障害・うつと生きる34歳
https://www.asahi.com/amp/articles/ASQ776RPXQ76OXIE004.html - 6 : 2022/07/31(日) 14:59:27.71 ID:vDQynCbsd
-
もう書かせたいだけやんけ
- 7 : 2022/07/31(日) 14:59:31.72 ID:zWLKP+TVa
-
そういう天皇がいた
最終的に事故と称して殺されたけど - 9 : 2022/07/31(日) 14:59:42.41 ID:UVxyyYQK0
-
邪の国の晋帝
- 10 : 2022/07/31(日) 14:59:43.43 ID:qi04Ooe60
-
死んだんだから許したれよw
- 11 : 2022/07/31(日) 14:59:59.10 ID:AR0BdIrYM
-
安帝(あんてい)は、東晋の第10代皇帝。孝武帝の長男。諱は徳宗、字は徳宗。重度の知的障害によりその治世においては国政を執り行う事ができず、臣下たちの権力闘争を許し、安帝自身も翻弄され続けた末に、最後はのちの南朝宋の武帝劉裕の手に掛かって暗殺された。
- 17 : 2022/07/31(日) 15:00:58.80 ID:Ik/99JMJa
-
>>11
歴史は繰り返す - 30 : 2022/07/31(日) 15:05:15.11 ID:cofrAR9A0
-
>>11
よくこんなの見つけるなw - 13 : 2022/07/31(日) 15:00:14.86 ID:kaKs6tY+0
-
大正のがわりと怪しい
- 15 : 2022/07/31(日) 15:00:47.15 ID:AR0BdIrYM
-
一切の意思表示ができないという重度の知的障碍者であったが、太元21年(396年)に父の孝武帝司馬曜が殺された後、皇帝として擁立された。安帝自身は政治を行なえず、最初は叔父の司馬道子とその子の司馬元顕による専横、隆安3年(399年)には孫恩の乱が勃発、元興元年(402年)に司馬道子父子が桓玄の反乱で殺されると、翌元興2年(403年)にはその桓玄に禅譲を迫られて帝位を追われ、平固王に降格された上で身柄を連れ去られた。翌永始2年(404年)に劉裕らの挙兵によって「楚皇帝」桓玄が殺され江陵にて復位するも、その直後に桓楚の残党をまとめた桓振によって江陵が占拠されるとまたも身柄を捕えられ[1]、あまつさえ殺害されかけるという有様であった[2]。
桓振の敗死によりようやく再び朝廷に戻る事ができたが、今度は桓楚の打倒に際し功を挙げた劉裕らの専横を許すことになった。そして義熙14年12月(419年1月)、劉裕の命を受けた中書侍郎の王韶之によって、宮中の東堂で暗殺された[3]。享年37。なお『宋書』には暗殺されたとの記述はなく、武帝本紀中において「(義熙十四年)十二月、天子崩」と記されたのみである。その後弟の司馬徳文(恭帝)が劉裕に擁立された。 - 16 : 2022/07/31(日) 15:00:50.22 ID:Q+SythGud
-
岩端雅荷命がいるじゃん
- 18 : 2022/07/31(日) 15:01:12.76 ID:OaombFAn0
-
よしくんがいたじゃん
よしくんが - 20 : 2022/07/31(日) 15:01:40.30 ID:s3pgXDG1a
-
大正天皇はやばかったって話だけどどれぐらいやばかったのかね
- 27 : 2022/07/31(日) 15:04:13.03 ID:mao+mqww0
-
>>20
明治天皇と比較されるとあれだけど韓国の王と話したいから韓国語を習うとか言い出したりという話があったりでわりと普通だったんじゃないかなと思ってる - 23 : 2022/07/31(日) 15:02:48.32 ID:rWER/zc1M
-
晋の思考停
- 26 : 2022/07/31(日) 15:04:03.50 ID:kvkmJD9G0
-
軽度なら雷帝の息子とかな
- 28 : 2022/07/31(日) 15:04:16.02 ID:GX9xIz2w0
-
スペインのアルフォンソ13世はおそらく軽度知的障害だろ
- 29 : 2022/07/31(日) 15:04:49.92 ID:tAQv1bUyr
-
皇帝じゃないけど、徳川13代家定も知的障害持ってたんじゃないかって言われてるな
あと、純血主義の時のハプスブルク家もやばいだろ
コメント